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漢族の人種


次のテストには絶対でてきます。
確実ですので予習しておこうっと。

中国では漢族と呼ばれ、中華人民共和国の全人口の92%以上を占める。漢人とも言い、華僑として中国を離れ、移住先に定着した人は華人と自称することが多い。

この言葉が用いられ始めたのは19世紀以後で、清朝を建てた満州人と、元々の居住者を区別するためであった。漢族という用語は人種的分類ではなく文化的な民族分類であり、その実体は中国の歴史で繰り返された漢族の周辺の異民族との混血の結果である。故に異民族でも漢族の文化伝統を受け入れれば、漢族と看做される。実際、漢民族は成立から現代に至るまでの長い歴史の間に五胡、ウイグル、契丹、満州、モンゴル、朝鮮その他多くの民族との混淆の歴史を経て成り立っている。その為、現代の漢族と古代の漢族は全く同じ存在という訳ではなく、時代毎にその民族要素は若干の変化を示している。だが一方で同一の民族意識を共有する集団としての共通性もまた多く継承しており、それは多様な民族との混淆の歴史を経ているが故に全く同一の存在ではないものの、現代のイタリア民族と古代のローマ(ラテン)民族との間に一定の継承された共通性が存在する事と同じである。

もちろんここには、「中国の文化伝統」が何を指すかという問題がある。現在の中国統治地域では風俗・言語・思想、すべてにヨーロッパ以上の幅がある。ただし現在の趨勢では、中国文化は中華人民共和国の北方マンダリン語を基本とする文化として収斂されつつあり、漢族の定義如何よりも漢族概念自体が漢族を形成しつつある。(ただし、 ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』やエリック・ホブズボームの『創られた伝統』で明らかにされているように、こうした事態はどの民族にでも起こりうることである)。つまり古代中世近代の漢民族概念と現代のそれとは別と考えるべである。また梁啓超は「新民説」で「自分が中国人だと反射的に思う人が中国人の範囲である」との言葉を残している。

中国の歴史は絶え間ない民族・人種の混合であった。古くは殷周交代にまでその傾向を見ることができる。当時中原に住み、より東方起源と推定される殷族と西方からやってきた周族が混交し、今にいう漢民族の母胎ができあがったのだが、その母胎はすぐに秦族に撹乱された。また、春秋戦国時代の国家である楚、越も中原とは多分に異なる民族であったと考えられている。

また中国は4世紀頃から北方の遊牧民族に北部を支配されるが、その過程で多分に北方民族の血が混ざっている。日本の学界では唐王朝の皇帝の一族もまた鮮卑系の北方民族に近いものであると考えられている。

一方騎馬民族に押されて南下していった漢族らも、タイ族の原住民と混交していったと考えられる。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年02月26日 18:31に投稿されたエントリーのページです。

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