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三十年戦争

この事の背景には何があるんでしょうか。


三十年戦争はカトリック派諸国、とりわけハプスブルク家の敗北によって終わった。この条約で新教徒(特にカルヴァン派)の権利が認められ、帝国議会や裁判所におけるカトリックとプロテスタントの同権が定められたこと、またカトリックの皇帝が紛争を調停する立場にあるわけではないことが確定したことで、ドイツでは紛争を平和的に解決する道が開かれた。このため最後の宗教戦争と言われる。

三十年戦争は国家間の覇権戦争でもあった。その面では、この条約で多くの利益を得たのはフランスとスウェーデンである。

フランス王国はカトリックでありながら戦勝国となった。ハプスブルク家の弱体化に成功した上、アルザスを得たフランスは、以後ライン川左岸へ支配領域の拡大を図り、侵略戦争を繰り返すことになる。しかし、全てが成功したわけではない。宰相リシュリューは、国王ルイ13世をケルン大司教(選帝侯)に、更には神聖ローマ皇帝位に付けることを狙っていた。フランスは獲得した量は多大であったが、神聖ローマ皇帝という質を獲得する野望は果たせなかった。

またフランスは、アルザスやロレーヌの一部を獲得しながら、帝国諸侯となることは出来なかった。フランスへの割譲は後述するスウェーデンへの割譲の場合と違い、その地域の帝国からの離脱を意味したのである。これにより、フランスの帝国議会・帝国クライスへの介入の道は閉ざされた。のちにルイ14世は再統一政策を掲げてライン川流域に手を伸ばすが、帝国クライスで結束した諸侯たちは一致してフランス勢力に立ち向かうことが出来た。

スウェーデンもこの条約でバルト海沿岸部に領土を獲得し、その一帯に覇権を打ち立てた。この時代のスウェーデンはバルト帝国とも称される。その一方で、1644年に親政を開始したクリスティーナ女王が寛大な姿勢で大幅な譲歩をしたため、取り分が激減してしまったとも言われる。彼女は父グスタフ・アドルフの理想(古ゴート主義)を放棄し、カトリックと和解した。彼女の理想は全キリスト教世界の救済だったのである。グスタフ・アドルフの政策を受け継ぎスウェーデンに勝利をもたらした宰相オクセンシェルナは親政により事実上失脚した。後に彼女はスウェーデンのプロテスタント教会と反目し、王位を返上してカトリックに改宗する。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年01月11日 19:23に投稿されたエントリーのページです。

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